イヤミスとは違うまとわりつく不快な霧 絞め殺しの樹/河崎秋子 [読んだ漫画/本/雑誌の感想]
■あらすじ
北海道根室で生まれ、新潟で育ったミサエは、両親の顔を知らない。
昭和十年、十歳で元屯田兵の吉岡家に引き取られる形で根室に舞い戻ったミサエは、ボロ雑巾のようにこき使われた。
しかし、吉岡家出入りの薬売りに見込まれて、札幌の薬問屋で奉公することに。
戦後、ミサエは保健婦となり、再び根室に暮らすようになる。
幸せとは言えない結婚生活、そして長女の幼すぎる死。数々の苦難に遭いながら、ひっそりと生を全うしたミサエは幸せだったのか。
養子に出された息子の雄介は、ミサエの人生の道のりを辿ろうとする。
数々の文学賞に輝いた俊英が圧倒的筆力で贈る、北の女の一代記。
■リアルな田舎特有な不快さ
あまり田舎とかいうと区別しているみたいで嫌なのですが。
大阪という比較的都会に住んでいると偏見が生まれるんですよね。
いわゆる村八分のようなあからさまな悪口と疎外です。
でもこの本で出てくる地域はほんのりした不快感なんです。
あきらかにヤバイ家にヤバイ人がいて虐げられている人がいるのに助けないし止めない。
止めようとしてもすぐ引っ込む。
違う空気感や人間関係があるからこそ止めてくれるのかな、って思っていたのに。
昭和や戦中戦後という「家族」が強い時代だからこそなのかもしれませんが。
漂う不快な霧は雄介すら捕り殺す毒のようなものに思えるなぁ・・・。
■「さようなら」の語源
登場人物のひとりが「さようなら」の元を語っていました。
「さようならば」の変化した言葉です。
あなたのご希望通りにといったところでしょうか。
ミサエと同じように私もその言葉で肩が軽くなった気がしました。
それほど人と人の関係は永遠ではないということです。
永遠ではないからこそ執着する必要もない。
いい言葉です。
人はいかにして戦い仏を信じるのかー黒牢城/米澤穂信 [読んだ漫画/本/雑誌の感想]
■あらすじ
本能寺の変より四年前、天正六年の冬。
織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。
動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。
「古典部シリーズ」で有名な米澤穂信さんの本です。
氷菓のイメージだったので「時代物・・・?」と最初は疑問でした。
中はミステリーで謎に安心しました。
クローズドサークルというのかな?
籠城戦なので外から人はなかなか入れない状況の中で謎が起きます。
加えて黒田官兵衛が安楽椅子役。
しかも口がうまいから荒木が動かされています。
私も騙されました。
そして戦国の世でなぜ人は仏教に祈り頼るのか。
心情が描かれています。
「家康どうする」の正信の言葉に通じるものがあった気がします。
「民を楽にしてやれるのならば誰も仏に頼らずに済む。そのために民はお前(家康)に米をたらふく食わせているのだ」
それを考えると信心深くない(むしろ宗教を疑っている)私は幸せなんだろうな・・・。