目的を持って自転するか生きあたりばったりで自転するのか・・・/自転しながら公転する [読んだ漫画/本/雑誌の感想]
■あらすじ
東京のアパレルで働いていた都は母親の看病のため茨城の実家に戻り、地元のアウトレットのショップで店員として働き始めるが、職場ではセクハラなど問題続出、実家では両親共に体調を崩してしまい……。
恋愛、家族の世話、そのうえ仕事もがんばるなんて、そんなこと無理!
ぐるぐる思い惑う都の人生の選択から目が離せない、共感度100%小説。
■私の話だ
女性につきまとう恋愛、結婚、介護etc...が詰め込まれています。
それなのに不自然さなく取り込まれていてびっくりしました。
娘・都はこれといって夢もやる気もない。
結婚したくないわけじゃないけれど婚活するほどやる気はない。
まさにぐるぐる歩き回っている行き当たりばったり女性です。
私でびっくりしました。
実家に頼っているくせにやる気はなく自立するわけでもなく・・・。
毎日、行き当たりばったりならぬ「生きあたりばったり」です。
都の女友達は精一杯人生を生きています。
それぞれ違うしんどさを抱えながら。
その二人との対比があって余計に都の生きあたりばったりが目立ちました。
だからうらやましさ、わかるなあ。
そして人生ってやる気があってもなくても回るときは回るんですよね。
まわるスピードが違うだけで。
■ハッとした
都の友達のひとりのそよかが言った言葉にハッとしました。
「都さんの不安って経済力ですよね?」
自分に経済力がないから日々不安。
では自分で稼ぐぞ!ってなる、ふつうは。
資格とるとか転職するとか・・・。
でもそういうやる気を持っていないから誰かや誰かの経済力に頼る。
だから中卒寿司野郎の貫一に「高卒認定とれ」とかけしかける。
まんま自己紹介ですよね(笑)
人の尻たたいたってそのまんま立ち上がるわけないのに。
できるとしたら自分だけなのに。
結局、ケツもちは自分のぶんしかできないのかなあ。
甘い弾丸を撃っているのも撃ち抜かれるのも私かもしれない/砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない [読んだ漫画/本/雑誌の感想]
あらすじ
山田なぎさは、片田舎に住む「早く大人になりたい」と願う女子中学生。
ある日、彼女の通う中学に、自分のことを「人魚」と言い張る少女・海野藻屑が、東京から転校してくる。
藻屑に振り回されるなぎさだが、藻屑の秘密に触れていくにつれ親交を深めていく。
しかし、藻屑の父親である海野雅愛の虐待が悪化の一途を辿ると同時に、なぎさと藻屑に別れの時が迫っていた。
甘すぎる弾丸
藻屑の境遇と矛盾に心が痛くなりました。
人は自分自身が一番不幸だ」と思いがちです。
そしてそう思いたい。
主人公・なぎさはそういうタイプです。
でも藻屑というロリポップに当たってしまうことで砕かれます。
悲しいし辛いのに「自分は人魚だ」というウソを甘い弾丸にして打ちまくる。
お父さんに傷つけられているのに「好き」だというそれだけでピンク色に塗りたくる。
本当は逃げ出したい、助けて欲しいと叫びたいのにかばい続ける。
子どもらしい「甘い弾丸」です。
だからこそ悲しくなりました。
藻屑の「好きって絶望だよね」という言葉が上記のことを言い表しているようで・・・。
大人でさえ実弾は持ってない
大人になれば甘っちょろい弾丸を捨てて完璧なモノをもてているのか?
否です。
親や周囲の大人が子供を傷つけたり殺したりする事件は今でもあります。
この本が出版されてから10年以上たっているのに・・・。
子どもの賢さも大人の愚かさも変わっていないのかもしれません。
どちらもお互いを「1個のただの人」と思えればいいのかな?