自分自身や他人に傷つけられる少女/「推し、燃ゆ」 [読んだ漫画/本/雑誌の感想]
推しに自分を投影
推しを「背骨」と表現することが印象的でした。
主人公のあかりはその表現に当てはまる生活をおくっていました。
逆に言えばそれ以外ないんですよね。
おそらく自分自身でもなにかなしえると思っていない。
他人からもそういう言葉をかけられたこともないし期待もされていない。
一緒に「何ができるか、頑張れるのか」を模索してくれる人もいない。
私を見ているようで胸が苦しくなりました。
あかり自身が自分に期待すらしていない。
だからこそ芸能界で必死に頑張っている成し遂げている推しを同一にみているようでした。
今っぽい
あかりは周りから「学校を卒業し働く」ことを期待されます。
女性であることから「結婚し出産、子育てをする」ことまでが加わります。
でもあかりはできない自分をわかっているからこそ背骨が折れていく事に堕ちていきます。
今のお父さん、お母さん(もしくは祖父母世代)はそのテンプレに乗れなかった人もいたでしょう。
それでも乗りさえすれば安泰でそのことを期待することもできました。
今の世代って仕事に限らず何にも期待すらできませんよね。
でも上の世代はできるはずだと何にも教えず模索させず期待するだけ。
尻を叩くだけなら誰でもできるよね・・・って思っちゃいました。
マンガでわかる「西洋絵画」のモチーフ/お約束事がわかりやすい! [読んだ漫画/本/雑誌の感想]
「ポーラ美術館コレクション展」に行ったときに売店に置かれていた本です。
西洋画に描かれている対象にはお約束事があります。
意味するもので発注者や描いた本人の意図がくみ取れるというものです。
私自身がキリスト教の教義や歴史そのものに関心があります。
あ、決してクリスチャンになりたいわけではないんですよ?
日本史や世界史を勉強するときのような気持ちです。
印象的なモチーフ
印象的だったのは「無原罪の御宿り」と「マグダラのマリア」です。
私自身が女性ということもあってか偶然にもどちらのテーマも女性です。
「無原罪の御宿り」はマリアの両親が天使から子どもを授かることを告知されたことによる言葉です。
受胎告知のマリア両親バージョンです。
まず言葉の語呂の良さ。
思わず口にしたくなります。
そして、青の鮮やかさ。
今の絵具のように発色がいいものではなかったでしょう。
それでもあの目を引く青が好きなんです。
「マグダラのマリア」はイエスの死と復活を見届けた女性です。
一般的に「7つの悪霊を追い出され回心した」とされています。
が、説のひとつとして娼婦だったというものがあります。
そこから回心したということは下に観られていたということです。
紀元前から性的なものは下品だとされていたのは変わらないんだな、と複雑な思い。